こんにちは。
祇園祭の山鉾巡行が無事におわりました。
毎年のことですが、山鉾巡行の日に向けて、京都のお商売は少しずつゆっくりな感じになっていきます・・・(簡単に言うとヒマになるということです笑) この表現は西陣界隈におけることでありますが、穂久彩も京都の法人さんにお届けさせていただいていることもあって、そちらのコースは少しゆっくりになります。 その代わりに?、京都駅や観光系のコースはハードになります。
さて、祇園祭はとっても有名ですが、由来や歴史などご存じない方のために。(京都市観光協会の祇園祭のページより)
今からおよそ1150年前に、京洛に疫病が流行し、庶民の間に病人、死人が多数出ました。 これは、牛頭天王のたたりであるとし、そのご機嫌をとるため神をまつり、祇園社(八坂神社の前身)を信仰し、病魔退散を祈願しました。 その方法は、日本全国の国の数に準じて66本の鉾をつくらせ、それを神泉苑(中京区御池通大宮)におくり、悪疫を封じ込む御霊会をおこなったのがはじまりであると伝えられています。 はじめのころは、疫病流行の時だけ不定期に行われたが、970年ごろからは、毎年6月14日におこなわれるようになりました。 その間、保元、平治の乱に一時絶え、足利時代に再興、足利将軍、夫人らが観覧したことが記録にのこっているそうです。
しかし、応仁、文明の乱に京都は焼野原と化して折角の祇園会の興隆に一頓挫をきたしたが、すでに町衆の手に支配されていた祇園会に対する熱情は容易に屈せず、大乱の約30年程のち、1500年6月には再び山鉾26基が巡行したと伝えられています。 これらが契機となり、山鉾は町衆の手によって創意がこらされ、内容外観ともに豪華、絢爛なものとなりました。 当時の町衆の信仰と勢力は次第に大きくなり、天文2年(1533年)一向一揆に際して室町幕府は神事停止を命じたが、”神事無之共、山鉾渡し度し”と申し出るほど町衆の山鉾存続への熱意が高まっていました。 鉾が今のような形になり、豪華な飾りをつけるようになったのは、桃山時代から江戸時代にかけて貿易がおこり、町衆階級が勃興して舶来のゴブラン織や西陣織などが競って用いられるようになってからです。
山鉾の組み立て方から、数々の美しい装飾品、宵山のお囃子、そして山鉾巡行、最近では後祭りなどなど、祇園祭はお楽しみがいっぱいです。 界隈のお料理屋さんは、祇園祭の特別コースなどを提供してくれるところもたくさんあります。
7月28日に祇園祭は幕を閉じます。まだまだお楽しみはあるので、是非まだの方は京都へどうぞ!

こちらは、函谷鉾の上から撮影した提灯です♪